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第22話 「あなたは彼のものじゃない」と言われて

last update Last Updated: 2025-12-14 17:59:26

 ビル裏の搬入口脇、蛍光灯がぼんやりと白い影を落としている。

「……なんで、あんなこと言ったの?」

 自分でも、少し甘えるみたいな声になってしまったのがわかった。

 Dは私の方へ身体を寄せ、

 指先でそっと手を包むように触れた。

「はっきり言った方がいいと思ったの。

 あなたにとっても、晴紀さんにとっても……ね」

 そこまでは、理性のDの声だった。

 けれど、その次の言葉だけは違った。

「でも、それだけじゃないのよ」

 低く、落とすみたいな甘さ。

 耳の奥にゆっくり溶けていく。

「言いたかったの。

 あなたは——彼のものじゃないって」

(……そんな言い方、ずるい)

 胸がひどく熱くなる。

 Dは私の手をそっと持ち上げ、

 親指でゆっくり撫でながら微笑んだ。

「ねぇ、朱音。

 誰かに、あなたの価値を決めさせてはだめよ。

 あなたは……あなたが思ってるより、ずっと愛される人なんだから」

(……愛される?)

 耳の奥がじんと熱い。

 Dは身体を少し傾け、

 囁くように続けた。

「あなたを手放したい人なんて、

 本当はどこにもいないわ」

(なんで……そんな甘いこと言うの)

 呼吸がひとつ、浅くなる。

 Dは私の頬に触れはしない。

 触れないのに、触れられたみたいに体温が上がる距離で。

「……今日は休みなさい。

 揺れるなら、それはあなたの自由。

 でも——あなたを縛る権利なんて、誰にもないわ」

 手を包み込む指先が、ゆっくり絡んでくる。

「あなたが誰の隣に立つのか……

 私は、静かに待つだけよ。

 でもね、朱音——」

 Dはそのまま、私の髪へそっと触れない距離で指を滑らせた。

「あなたが望むより先に、

 迎えに行くつもりではあるけれど」

(そんな言い方……反則)

 ひどく甘くて、

 逃げ場がない。

***

 数日が過ぎた。

 会社では相変わらず会議に呼ばれず、自分の席だけぽっかり空気が止まっているみたいだった。

 資料をまとめても、誰にも渡す場がなくて、コーヒーを飲んでも、味がしなかった。

(……あれから、Dも晴紀も、何も言ってこない)

 静かすぎる数日。

 それなのに心だけは落ち着かず、ふいにあの夜の言葉が胸をなぞる。

(私、どうしたいんだろう)

 問いの答えが見つからないまま、パソコンを閉じた。

 その時だった。

 鬼塚から私宛に一本の電話が入った。

『朝倉さん。あな
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